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レビー小体型認知症の父が肺炎で亡くなるまでの介護記録

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この記事は家で認知症の父親を介護した女性に書いていただきました。

…………. 

 私の父は 78 歳の時に発病しました。最初に気がついたのは、私でした。ある日、コンビニで支払いに もたもたしていたので、どうしたのかと覗きこんだら、端数の60円が払えなかったのです。お金がないのかと思ったら、どうお金を出していいのか分からなかったのです。私は、その時嫌な予感がしたけど、あえて母には言いませんでした。認知症かもしれない不安を打ち消すかのように平静を装い、父も自分の変化に不安を感じていたようでしたが、歳のせいだからと慰めていました。

 でも父はだんだんできない事が増え、決定的なことが起きてしまいました。ATMでお金が下ろせなくなったのです。カードを持ったまま「これはなんだ?」って。もう限界だと思いました。いつまでも、心の中で否定できない。まずネットで認知症について調べました。認知症にもいろいろ種類があること、父が最近歩きにくそうにしているのは、リウマチじゃないかも、お化けがいると言うのは認知症による幻覚なのかも。調べれば調べるほど当てはまるものがいっぱいで怖かったです。

 近所に認知症の専門の総合病院があるのですが、私が以前、脳梗塞でお世話になった脳外科の先生に相談しました。そしたら、「お父さんの脳のCTを撮りましょう」と言われたので、病院に連れて行ったのですが、結果は「お父さん、今話した感じでは別に認知症を疑う所見はないよ。脳の萎縮は年相応だし。」でした。恐れていたことを否定してくれたのだからもっと喜べばよかったのに何かすっきりしなかったのです。

 そこで、私は父を他の病院の神経内科に受診させる決心しました。神経内科では、あっさりとレビー小体型認知症と診断されました。覚悟はしていたものの、震える感じがありました。父もどんな気持ちで聞いていたのだろう。それからは、父と母と私の闘いが始まるのです。治療としてアリセプトが出されました。そして、2週間ごとに受診することに。

認知症の進行が急速に

 父の認知症は思っていたより進行が早く、幻覚の症状が強く現れるようになりました。「玄関に黒い帽子をかぶった小さい男がいる」っていつも言うようになりました。現実を受け入れられない私は、「そんな人いないから」といつも否定することばかり言っていました。

 また、レビー小体型認知症の「パーキンソン症状」により歩きにくそうにしていた父はよく転ぶようになりました。パーキンソン症状になると筋肉が固くなり、歩くことが困難になってきます。

 おかしな行動もありました。夜中に裸になり柱に股間を擦り付けていたのを母が見つけたときはさすがに母も動揺して私の携帯に電話してきました。私が駆けつけたときはまだ、父は柱に抱きついていました。紳士的だった父が…。母も私もショックでした。さらに父は度々正常に戻ると死にたいと漏らすことがありました。実際に中性洗剤を飲んでしまいました。あと、カレンダーをかけてあるフックにビニール紐をかけて首をつろうとしました。結局台の上に登ることができず死ぬことは断念しましたが、最後まで時々死にたいともらしていました。

 その頃私は、午前中だけ仕事をしていましたが午後からは実家に行き、母をサポートしてました。夜中でもいつでも困ったら電話してと。それからは度々電話が来るようになり母も限界なんだと感じました。

とうとう歩けなくなってしまいました

 レビー小体型認知症のパーキンソン症状により、歩きにくい、手が思うように動かせない。そんな状態だった父はそれでも歩こうとして顔から転倒してしまいました。鎖骨を骨折してしまいましたが、頭は打ってなくて大事に至りませんでした。3 度も転倒して救急車で運ばれたこともあります。家の中では手すりに捕まることもできなくなり、おしっこもトイレまで間に合わなくなり、とうとうオムツをつけることになりました。だんだんいろんな事を諦めなくてはいけなくなり、とうとう寝たきりになってしまいました。

 寝たきりの父の介護で大変なのは、オムツの取り替えです。正直、臭いし汚いし嫌でした。嫌々やる私の心は父に伝わるのですね。私がやると体をよじらせ拒否しました。そこで、訪問介護をお願いすることになり、ヘルパーさんが週に何度か来てくれて、身の回りの世話や入浴のお手伝いをしていただいていました。今でも忘れられないのがヘルパーさんがお風呂に入れてくれているとき父は涙を流したのです。たぶん感謝の涙ではないです。プライドの高かった父だから、情けないと思ったのではないかと思うのです。辛い瞬間でした。

 ご飯も柔らかいものしか食べられなくなりました。母はベットを起こして詰まらせないように食べさせていました。食欲はあり何でも食べてくれました。この頃は自分では何もできなくなっているので、もう赤ちゃんのような状態です。ご飯を食べ、体を拭いてもらい、お風呂に入れてもらい、オムツを変えてもらう。

 寝ていることが多くなった父は口数が減り、私との会話は少なくなりました。1 年ぐらいで父が父でなくなっていく姿を見てきてレビー小体型認知症は恐ろしいなと実感をしました。

あんなに健康に気を付けていたのに肺炎に

 突然、息苦しいと訴えました。10月の気持ちのいい日でしたので、窓を少し明け空気の入れ替えをしました。それでも父は息苦しいと言うので病院に連れていきました。診断は肺炎でした。その日のうちに入院です。入院中はご飯を食べると誤えんを起こすといけないからとずっと絶食でした。点滴だけで口からは何も食べられませんでした。毎日お腹すいたって声を聞くのが辛かったです。体重も 65kg から 39kg まで減ってしまいました。

 内科の主治医からは高齢者の肺炎は命取りになる場合が多いと言われました。突然亡くなる場合もありますと。私たちは覚悟をしました。遠く離れた妹に会いに来るように言ったり、私の子供たちにもしょっちゅう会いに行ってあげてねと。でも、会いに行った妹は名前を呼んでもらえなかったと泣いて帰ってしまい、それ以降、父には会いませんでした。幸い私の事はまだ分かっていたようで、病室に行くと笑顔が出たのはせめてもの救いでした。

父の死

 ひとつ、これが現実なのかと思えることがありました。それは医師に「認知症の人は具合が悪くてもナースコールを押さないこともあります。看護師はいつも見ているわけにもいかないので。気がついたら息絶えているかもしれながご了承ください」と言われたことです。その時、父の寿命が近づいていることを感じました。

 それから、2 週間後病院から電話がかかってきて父の死を知らされました。長いようであっという間の介護でした。認知症の発症から5年が過ぎ、十分に介護できたのだろうか?間違っていなかっただろうか?自問自答する日々が続いています。

 そして今、母の物忘れが酷くて、認知症ではないかと不安に思っている毎日です。

[参考記事]
「レビー小体型認知症ってどんな症状があるの?」

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