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レビー小体型認知症だった母の症状は幻覚とパーキンソン症状

 

この記事は親の介護を行っていた家族の方に書いていただきました。

…………

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【レビー小体型認知症があった母】

父と母はカラオケが大好きで、月に2度近所のスナックでお年寄り仲間とカラオケ大会をしていました。

あるとき、母が「小さな女の子がいるよ」と言いました。

お年寄り仲間もびっくりして、
「そんな小さな女の子はここにはいないよ」
「今そこにいたんだよ」

母はあたりを見回しますが、もう小さな女の子の姿は消えてしまったようです。

家にいるときも、部屋のなかに女の子がときどき現れたというので、父も不思議に思っていたそうです。私もその話を聞いて、「座敷わらしがでるのかねえ」などとのんきなことを言っていたのです。

幻覚は、ときどきありましたが、会話もしっかりとしていましたので、認知症の症状とは思いませんでした。私はそのときレビー小体型認知症のことをまったく知らなかったのです。レビー小体型認知症というのは、幻覚などの幻覚が現れ、またパーキンソン症状により筋肉が固くなり、動作も鈍くなります。

【大きな手術と病歴を忘れた母】

母は痩せていて胃下垂気味でした。そのせいか胃の痛みを訴えることが多かったので、市販薬の胃の薬は離せませんでした。

母があまりにも「胃がキリキリと刺すように痛い」と言うので、父は病院に連れて行きました。検査結果は、胃ではなく、すい臓が悪いことが分かりました。

週末、私が実家に行くと母は検査結果を言ってくれました。

「すい臓が悪かったんだって。今まですい臓が悪いなんてなかったのにね」

私は、母が過去にすい臓に異常があったことを思い出しました。

「お母さん、昔、腎臓の手術をしたときに、病院からすい臓の薬ももらったよね?」

私がそう言っても、母は何のことやら分からない表情でいるのです。

「えっ、そうだったかね」

母は、30年前のことを思い出せなかったようです。40代半ばに腎臓の下垂があり吊り上げる手術をしたことがありました。背中を半分メスで切るような大きな手術でした。その時に、同時にすい臓の治療をしたことがありました。3か月も入院した大きな手術だったので、忘れるはずはないのですが、記憶が消えていたのです。

それでも私はまだ母に対して認知症の疑いを持っていませんでした。たぶん、父といっしょに暮している安心感から、あまり心配していなかったのも事実です。

【時代錯誤をする母】

その頃、私が務めている会社でリストラがあり、経済的に困っている時でした。ローンも残っているし、生活費に困っていたのです。母に相談すると、意外な答えが返ってきました。

「隣のアパートが空いているから、引越てくれば良いよ」

あまりにも現実離れした答えなので、私は少し腹が立ってしまいました。

「お母さん、となりのアパートは6畳一間だよ。とても家族4人は住めないよ」

このとき、私がもっと母の認知症に気づいていれば、腹も立たなかったでしょう。それまでの母であれば、もう少し私の身になって考えてくれたはずでした。私は母の言葉にがっかりして、「もういいよ、自分でなんとかするよ」とケンカ腰になってしまったのです。

それでも母は、「終戦直後、何もないときに、6畳一間でも家族で住んだものだよ」と言いはります。私は、なぜ母がそんな昔の話をして、頑固に言い張るのか理解できませんでした。今思い返すと、普段と違う母の様子にもう少し気を使うべきでした。

【歩くのを止めた母】

父が急なめまいを起こし、近くの病院に入院しました。私は母に頼まれ、父が入院している病院に車で母を連れて行きました。その時、初めて母が以前のようにさっさと歩けないことに気づきました。私の腕につかまって、よちよちとしか歩けないのです。

「どうしたの、歩けなくなったの?」

母に訊くと、近くの美容院に歩いて行った時に、転んでケガをしたので、それ以来、歩くのを止めてしまったそうです。体が硬くなって、転倒したのだと思います。これも、レビー小体型認知症によるパーキンソン症状の現れでした。歩き方も極端に歩幅が狭くなっていました。

「もっと歩かないと、歩けなくなってしまうよ」

私は、レビー小体型認知症の症状と知らず、心無い言葉を母に浴びせてしまいました。さらに、もっと悪いことが起きました。ある冬の寒い朝に、リビングで突然、母が転倒しました。石油ストーブの上にやかんが置いてありました。やかんに体が当たって、熱湯が床にあふれ出ましたが、幸い母には熱湯がかからず、火傷をしないですみました。

しかし、母は「胸が痛い」と言います。父は近くのクリニックに連れていき、痛み止めをもらって飲ませていましたが、痛みは止まりませんでした。それだけではなく、父に対して、「私の面倒をみないのか」とか「薄情なひとだ」とか攻撃的な言葉で父を責めたのです。

父はたまりかねて母を入院させることにしました。そのときも「私を捨てるつもりなのか」と言って、抵抗したそうです。レビー小体型認知症の症状のなかに、被害妄想や嫉妬妄想などがあります。父を責め立てる母の言葉は、レビー小体型認知症の症状の現れでした。

しかし、昔から母の気性は、少し激しいところがあり、父は何かにつけて、よく叱られていたことがあるので、今回もそれほど異常を感じませんでした。

【私を忘れた母】

私は母のお見舞いに行きました。母は、「遠いところをよく来てくれた。もういいから早く帰って」と言います。私の住んでいるところは、それほど遠くはないのですが、母はそう言うのでした。

私のことを「息子」と分かっているかどうか、少し疑いましたが、普段気を使う母でしたので、そのまま帰りました。次の週に行くと、「お母さん、どう?元気?痛みはあるの?」と訊くと、「はい、元気です。痛みもありません。ありがとうございます」と他人に答えるように言うのです。私を医師と間違えているようです。私のことが分からなくなっていました。この時初めて、レビー小体型認知症と診断を受けたのです。

【大いびきで寝ていた母】

3週目にお見舞いに行った時です。看護師が「昨夜は、お母さんは大きないびきをかいていました」と言うので、私は驚きました。そのとき、私は会社の上司が脳溢血を発症し、緊急入院したことを思いだしたからです。脳に異常があると大いびきをかくのです。

私は看護師さんに母の脳をすぐに調べてくれ」と頼みましたが、「今日は土曜日で、医師がお休みですので、手配ができません」と言うのです。仕方がありませんので、私は「月曜日に先生に必ず検査をするようにお願いします」と看護師に言って病院を出ました。

【発見された多くの脳梗塞】

病院では、月曜日に精密検査をしました。水曜日にその結果を知らせてくれると言うので、父といっしょに病院に行きました。院長がわざわざ説明すると言うので、「いったいどういうことだろう」と思いました。

診察室で院長の話を聞くと、
「お母さんの脳に、16か所の脳梗塞がありました」と言うではありませんか。私は驚きで言葉が出ませんでした。父は、まだ病気の重大さがわかっていないようで、ボーッと聞いています。

「お母さんの脳梗塞は、すでに16か所もあるので、脳の損傷は回復できません。意識や体の機能をもどすことは無理だと思います」

それ以降、意識はまったく戻りませんでした。入院して、40日後に息を引き取りました。享年79歳でした。

[参考記事]
「レビー小体型認知症ってどんな症状があるの?」

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