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認知症の介護疲れによる殺人に関して私が思う事

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毎年、介護者が介護疲れから認知症の人を殺めてしまうニュースがありますね。
私はこの種のニュースを聞くたびに非常に残念に思います。
殺めてしまう程、思い詰める前に周りの人にSOSを発して欲しかった
です。

SOSを発する

認知症の家族を介護する家族介護者には本当に頭が下がります。
我々介護職員は仕事として認知症の人のケアをさせて頂いています。
つまり、タイムカードを切って退社すれば一旦介護から解放されるのです。
就労時間も8時間(2交代の場合は夜勤のみ16時間)で終わります。
また、休日は週2日程ありますから、その間にリフレッシュする事が出来ます。
しかしながら、家族介護者はそういう訳にもいきませんね。
ショートステイでも利用しない限りは、認知症の人のケアを毎日する事になります。
それも日中だけでなく夜中も介護に迫られるケースも珍しくありません。

その多大なストレスに潰されてしまう前に周囲に助けてもらってください。
介護疲れから認知症の人との関係性が悪化し、更に介護疲れが進むという悪循環に陥らない為に、家族会や認知症カフェに赴くのも1つの息抜きになります。
例えば「公益社団法人 認知症の人と家族の会」では毎月各県で介護の相談を行なっています。
例えば私が住んでいる千葉県では以下の日程で相談を受けてくれます。

7月12日(火)午後1:30~3:30

緑のつどい→千葉市緑区ボランティアセンター

7月22日(金)午後1:00~3:00

松戸のつどい→松戸市総合福祉会館

7月24日(日)午後1:30~3:30

男性介護者のつどい→千葉市社会福祉センター

認知症カフェとは認知症の人を介護している人達が情報を交換する場所ですが、開かれている時間は月に1回など毎日開かれているところは少ないです。
私が住んでいる市では市役所が地域包括支援センターの施設を使って認知症カフェを開いています。
地域包括支援センター(市町村には最低でも一か所はあります)は介護の相談を受けてくれますので、人を殺めるくらい悩んでいることを伝えたうえで、相談に乗ってもらいましょう。

認知症である事実を受け入れる

親の認知症を認めたくないために「私の親は認知症ではない」と否定から入ることはよくある事ですが、認知症は基本的に不可逆性の変性疾患ですから、認知症ではないと否定しても治りません。
ずっと受け入れずに時間が過ぎれば、過ぎた分だけ適切なケアが行き届かなくなります。
「家族は認知症をどのように受け入れるか」で説明しましたが、「否定期」→「混乱期」→「受け入れ期」と進んで親族の認知症を受け入れていきますが、「混乱期」で止まってしまう介護者がいます。
このような介護者はうつ症状(介護によるうつ)を持っている人もいて、それが最終的に認知症の方への暴力などに繋がっていきます。
ですので、先ほど説明した地域包括支援センターや認知症カフェなどで相談するなどして、自分の心の中で認知症の人を「受け入れる」という状態まで進んでください。

認知症は恥ずかしくない事を知る

認知症である家族がいる事は何ら恥ずべき事ではありません。
しかし、いまだに「恥ずかしい事」と思う人もいます。
実際に「認知症の家族がいるのを知られて恥ずかしいけど、殺す事が頭をよぎって、介護施設や介護サービスの利用を決めた」という家族もいました。
この家族には、認知症は何も恥ずかしい事ではないという事をお伝えして、お分かり頂きましたが。

「認知症」という言葉ができて、それが周知され始めたのは最近のことです。
それまでは、「呆け・痴呆」という明らかに差別した呼称が使われ、蔑視するきらいがありました。
私は2016年現在でもいまだに「認知症を痴呆症」と言う人を知っています。
今は「痴呆症と言う言葉は使わないで、認知症と言ってください」と伝えていますが、それでも「痴呆」と言います。
このような認知症が歩んできた歴史が「認知症は恥ずかしい事」という思いを生んでいるのでしょう。

その介護者が感じる「居心地の悪さ」は空気感として認知症に人に繋がって、それが症状の増悪にも繋がります。
それがまた介護疲れとなって自分に帰ってくるので、「認知症は恥ずかしくはない」ということを腹の底から理解してください。

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