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大工の棟梁だった認知症患者の暴力を止めた意外な方法とは

 

 私が今の会社に入るきっかけになったのは、ボランティア活動でした(当初ボランティア団体だったものがNPO法人の認証を取って今はグループホームを運営しています)。

 私は学生時代から福祉に関するボランティア活動をしており、そのときに知り合ったのが、元大工の棟梁で脊髄損傷によって車いす生活を送っていたAさんでした。Aさんは車いす生活をしていながら、ボランティア活動のメンバーでした。

 この方は車いすで自立した生活を送っており、その経験を活かしてボランティア活動を行なっていたのです。そのボランティア団体に入職した私はこの方に色々なご指導をいただいておりました。

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元大工の棟梁が認知症の判定をされる

 そんな中、私にとってとてもショッキングな出来事が起きました。このAさんが、アルツハイマー型認知症であるとの診断を受けたことです(参考記事「認知症の中でも一番多いアルツハイマー型認知症の症状は?」)。本人は病院に行くことを大変嫌がっておりましたが、ボランティア仲間の説得によってようやく受診できたのです。

 初期のうちは認知症の診断を受けたものの、変わりなく在宅での生活を継続してきました。それからしばらくして、お風呂に入りたがらない、糖尿病の薬を飲みたがらない(糖尿病の持病もあり)、妻に暴力を振るうなどの行為が出るようになり、相談を受けた私はケアマネジャーとして何か手助けをしたいと思い、私が勤務するグループホームに相談し入所することになりました。

 大工の棟梁であったせいか男気があり、脊髄損傷後も自力で生きてきたAさんにとっては、男性のヘルパーでは抵抗感が強く、拒否がとても強くなってしまいました。そこで女性ヘルパーの職員に入ってもらうことになりました。

 しばらくはこの状態で小康状態だったのですが、だんだんアルツハイマーが進行してくるようになり、落ち着かなくなったり、妻を殴ったり、勝手に外出して戻れなくなってしまうことが出てきました。また、脊髄損傷後に建てた今の家を離れるのが到底納得できず、拒否がとても強かったのです。

 まずはそのグループホームに併設されている認知症対応型通所介護に通っていただいて慣れるところから始めました。そこでようやくグループホームに入ることになったのです。

帰宅願望が強くなるが大工の棟梁だったことを重視

 入居当初は帰宅願望がとても強く、Aさんが無断外出しようとしたのを職員が呼び止めたところ、突然殴りかかられたこともありました。その後、これらの症状を解決するために再度アセスメント(問題の洗い出し)を行った結果、グループホームの居室にAさんの自宅のレイアウトを再現することにしました。

 アセスメントではAさんが大工の棟梁だったことを最大限重視しました。自分で建てた住宅を離れることが症状(周辺症状)を悪化させていると判断したのです。その結果、Aさんは落ち着きを取り戻しました。同時に神経科にも通い、投薬治療を続けました。

 その間、私がAさんの奥様と相談したり連絡を取り合ったりしているせいか、私も被害妄想の対象となり、「おまえは妻を寝取った」と言われるようになり、これまでのような関係を続けるのが困難になってきました。そのため、管理者の判断により私は担当を外れることになりました。

 その後はいち職員としてAさんを見守り、何かあった際は手伝うようにしています。そのおかげで、現在はグループホーム内で安心した生活を送ることができています。確かに被害妄想の対象となったときはショックを受けましたが、今落ち着いて生活できてることが何よりも嬉しいです。やはり、Aさんは私が介護職に就くきっかけになった恩人ですので。

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