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認知症の父が自動車運転免許を返納までの経緯。きっかけは事故

 

 父は事故をきっかけに運転免許を返納することになるのですが、その辺りの話しを書いていきます。最初はタダの事故だと思ったのですが、まさか、認知症が関わっていたとは…。

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父の自動車の運転技術

 若い頃より、父は車関係の仕事をしており、運転にも自信がありました。私は幼少のころから父の運転に危険を感じたこともなく、私が運転するようになってからも父から教わることが多く、スピード感も危険予測運転も私のお手本でした。

 ある時、父の運転で出かけていると、赤信号手前でのブレーキがいつもより遅く感じました。左折するときも、左側の人や自転車が見えていないのでは…と思うことも増え、ヒヤッとすることが出てきました。

 またある時は、法定速度より20㎞も低い30㎞で走行するようになりました。おそらく、父なりに運転への反応が遅くなっていることを実感していたのかもしれません。私は、「年齢的なものかな…いずれにしてもボチボチ運転はしてほしくないな…周りに迷惑だし…」と、思いながらも、「たまたまかもしれないし、母もついているし…、まだ70ちょっとだし…」と、どこか他人事でした。

もしかしたら、この時すでに…

  その頃、両親の都合で急に2週間ほど我が家に泊まりに来たことがありました。1週間が経とうとしている頃、父の財布が無くなりました。探すと部屋から出てきたのですが、父は「お前は部屋に入ってくるな!」と、私の子供である長男が犯人と思い込んで感情的に怒っていました。

 私はショックと怒りでいっぱいで、どうしても父の言動が許せず、かなり強い口調で文句を言いました。それからの2年間、連絡もせずに疎遠になりました。

 今となっては思えば、この時、父は既に認知症になっていて、環境の変化に馴染めず、自分の置いたお財布の場所が分からなくなり混乱していたのだと思います。

2年ぶりの電話は事故!

 2年ぶりに母からの電話がありました。それは「お父さんが運転をして二人でドライブをしていた時に、田舎のあぜ道の土手に落ちてしまった」という事故の報告でした。幸い、事故に巻き込んだ人もなく、二人に大きなケガもなく、打撲程度で済みました。

 疎遠になってしまってから事故の事を聞くまで、私は両親の存在を頭から消しておりましたが、事故の状況を知るために久しぶりに実家に行きました。母と話して、次に父と話したときに少し違和感を感じました。話しがかみ合わないのです。私が聞いた質問にきちんと答えられなくなっていたのです。昔から難聴があったのですが、補助具も付けているし、聞き取れないことはないはずです。この時、ふと「認知症」という言葉が頭に浮かんできました。思い返せば、2年前、両親が2週間泊まりにきた時、長男をあんな風に怒ったり疑ったりすることは幼少の頃の父では考えられないことでした。

 母に父の事を聞くと、「同じことを何回も言うのよ… 事故の前からやけどね。服もいつも準備しているのに、どれ着るんか?と、何回もうるさいし、トイレも何回もいくし、閉じまりも寝る前に何度も何度もするから寝られへんねん!」と、愚痴は言っても、あまり気にしていないようでした。

定期受診

 その後、父の認知症が気になり、かかりつけ医の定期受診に付き添わせてもらい、父の現状を聞いてみました。長谷川式スケール(認知症のテスト)をしてもらうと、年齢も月日も季節も分かっていませんでした。暗記系も計算もほとんどできませんでした。検査の季節は3月でまだセーターを着ていましたが、院内が暑かった為か、今の季節を「夏」と答えていました。主治医に事故の事も伝えると、「運転はしない方がいいのでは…」とのことでした。

疎遠の解消

 父の長男に対する言動は認知症のせいだと思うようになると怒りが沈み、私は考え方を変えて両親の生活が落ち着くように関わることにしました。母も軽い認知症になってしまい、お金の計算や予定などが分からなくなり、見通しを立てた行動が難しくなっていました。

 そこでまず始めたことは父の運転免許の返納です。最近、高齢者の事故がニュースになっていることが多く、他人事だとは思えなくなっていました。運転免許証返納をする為には、母の承諾も必須ですが、母は父の車に乗ることが怖いと思っている時は納得しますが、ドライブに行きたい思いが強い時は怖さを忘れ返納の必要性を感じていません。

 父は、事故をしたことも忘れていることがありました。話をすると思い出すことはできますが、最近の出来事かどうかは分からなくなっています。運転免許証返納の話をしても「それは、ボケた爺さんやったら分かるけど、ワシは大丈夫や!」と、自覚はありません。自分が認知症だとは思っていないのです。

運転免許返納成功!

 認知症の両親に返納の必要性を納得してもらうためには、運転して出かけられない生活に不便を感じず安心してもらうことだと思いました。兄弟で手分けをして両親のところに会いに行き、買い物や調理を一緒に行い、週末は私たちの運転で外出をしました。母が外出できない不安や寂しさを訴えた時は、私たちが一緒に外出することで父が免許を返納することを納得できるようになってきました。

 父は何度も「車はどこに行った?」と、言いますが、その都度「事故って廃車になったよ!」と、伝えると、「そうか…」と、残念そうに答えます。本当は修理すれば使えるのですが、廃車ということで皆で話を合わせることにしました。幸い、新しく車を購入する気持ちにはなっておらず、車を預かってもらっているうちに、運転していたのはかなり前のことと感じているようでした。

 短期記憶の保持が難しいことや理解力の低下を利用して、父をだますような感じがしましたが、無駄に父の自尊心を傷つけないためにも、犠牲者を出さないためにも、運転免許証返納の説得は行わず、免許更新センターへ一緒に行きました。記念に持って帰ることを希望し、今まで使用していた免許証に穴を開けたものを返してもらいました。今も、使えない穴の開いた運転免許証を大事に置いており、目にした時は「車さえあれば、いつでも運転するのにな。」と、眺めています。

事故がなければ…

 もし、事故がなければ認知症にも気づくことも、返納もスムーズにできなかったと思います。親族だからこその感情が先走り、認知症の初期症状に気づけなかったことが悔やまれます。事故が起こる前に父の意思で運転免許返納をすることができなかったのだろうかと今でも考えてしまいます。

 「事故がなければ認知症に気付けなかった」では本当は遅いです。お年寄りがブレーキとアクセルを間違えて、子供や若い子を引き殺してしまうという痛ましいニュースが増えています。正直言うと高齢のお年寄りは生きてもあと数年だと思います。それに対して、子供達の人生はこれからです。これからの人生が認知症の老人の運転ミスで消えて無くなってしまうのは何とも言えない虚無感があります。急に老人の事故が増えたわけではなく、政府はこのようなニュースを流すことで高齢者に対して免許返納を促そうとしているのだと感じます

 10年後には自動運転が主流になっている時代がきますが、それまではこういう痛ましい事故が続きます。それまでの間の政策として免許を返納したら、何か商品を差し上げるという政策をやってもいいかもしれません。

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