この記事は介護経験のある女性に書いていただきました。
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穏やかな日常の中に曾祖母の認知症の周辺症状は少しずつ私たちに違和感を与えていきました(参考記事「認知症の周辺症状ってどんな症状なの?」)。それは些細なことから少しずつ増えていくような感覚です。
両親は私や姉がいくら曾祖母の変化について訴えてもなかなか行動に移しませんでしたし、何より認知症だと信じてはくれませんでした。父にしてみれば私や姉はまだ19才の子供で、子供の言うことに耳を貸さないように感じましたが、明らかに曾祖母の言動や行動は日に日におかしくなっていきました。
あるとき、私たちが皆でテレビを見ているときに突然、曾祖母は母に「お金盗んだでしょう?」と何の根拠もない話をしてきました。それまでは聞き流していた母も泥棒呼ばわりする曾祖母に耐えきれず大喧嘩に発展。泣きながら曾祖母は荷物をまとめ外へ出ていきましたが、母は引き止めることもせず知らんぷりを決め込んでいました。
私は追いかけようとしましたが、母に「近くのお寺にでも行っているのだろう、すぐ帰ってくる。」と引きとめられ、そわそわしながら帰りを待っていました。きっと母も追いかけたくなくなるくらい追い詰められていたのでしょう。
1時間待っても帰ってこないので車で探しに行こうかと母が考えだした矢先、近所のおじさんの車に乗せられ、ニコニコの上機嫌で帰ってきました。事情を聞くと、一生懸命歩いたけれど近くのうどん屋さんに行くのが精一杯だったらしく、そこでうどんを食べていたところにおじさんが通りかかったとのこと。
うどん屋さんに着く頃にはもはや何をして家を出たか覚えておらず、うどんを食べることが目的になっていたかのような様子でした。狭い田舎の話ですから、うどん屋さんから連絡がきて、お釣りを受け取らず一杯400円のうどんに2000円払っていったのでお釣りを預かっていますとのことでした。
症状が悪化して息詰まる家族
こんなに振り回されているのに両親はまだ曾祖母を認知症検査させる気にはなりませんでした。それからしばらくすると、両親も仕事をしているし、私も就職をしたので朝晩しか自宅にいることがなくなり、日中、曾祖母に対する目が少なくなりました。今までできていた曾祖母の糖尿病食の調理やインスリン注射の管理ができなくなってしまいました。そのせいで、インスリン注射を忘れるだけでなく、朝に炊いたご飯を全部10時前に食べきってしまうことが多くなってしまったのです。
そんなことが数カ月続き、曾祖母が頬を骨折してしまう事故が起きてしまいました。隣のお宅へお茶碗を手に持ってご飯をもらいに行った際、石に躓いて転んでしまったのです。両親はまずお茶碗を持って隣家にご飯をもらいに行っていたことに衝撃を受け、かえって骨折し入院することになり安心している感じでした。
入院したものの、曾祖母は元々わがままな人でしたし、認知症の症状も相まって10日の入院で強制退院させられてしまいました。曾祖母は看護師さんに弁当を買ってくるように命令したり、「包帯の巻き方が汚い!」など何か気に入らないことがあれば大きな声で怒鳴っていたようです。
そして、とうとう、手に負えないということで、「(相部屋の)他の患者さんから苦情がありました。その方に迷惑がかかりますので、退院していただきたいのですが」と家族に相談があって、仕方なく承諾しました。この頃、両親は限界にきているように見えたので、私は介護保険を使い自分達の精神的な負担を減らすよう説得するものの、納得してくれませんでした。
家族が認知症を認めるきっかけ
退院した曾祖母は一人で家にいることが困難なように見えましたが、両親は食事コントロールさえできていれば問題ないだろうと捉えていました。母は食べきってしまっても大丈夫な量を計算してご飯の作り置きをし、隣家に迷惑をかけないよう私がお昼休憩に自宅へ戻りインスリン注射と食事の管理をするということに話が決まりました。
そんな生活が続いていましたが、ある時曾祖母は泣きながらこたつに横になっていました。訳を聞いてみると自殺を図るためにお寺に行き、ネズミ駆除の薬を飲んだということでした。私は看護師である姉に連絡を取り、応急処置の方法を聞き、その間に姉が駆けつけてくれて病院で治療することになりました。幸い、自殺は未遂に終わりましたが、一歩間違えると危ないところでした。
さすがに両親は曾祖母の変な行動を認めざるを得なくなり、自殺未遂の治療をしていた病院で認知症の検査を受け、アルツハイマー型認知症を患っていることをCT検査や問診により診断されたのでした。もう少し早く、両親が動いてくれたのならばという思いがありましたが、身内の認知症は認めたくないという思いが強かったのだと思います。
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