妻と二人暮らしのAさん(78歳・男性)は、若い頃よりやや難聴ですが、耳元でゆっくり低い声で話すとコミュニケーションが取れます。若い頃より職人として生計を立てていたので職人としてのプライドも高く、足腰や腕の力や手先の器用さに誇りを持っておられます。
Aさんの記憶力
頑固な面もありますが、怒鳴ったり手をあげたりすることはなく、誰に対しても優しくにこやかに接せられ、分からないこと聞こえないことは、「すまんが、分からん。」「すまんが、聞こえない。」などと、その場の対応は問題なく行えます。
しかし、仕事を辞めた頃(70歳)より、物忘れが酷くなり、食べたことや少し前の出来事など短期記憶の保持が困難になっていました。写真や動画で自分の姿をみると「これわしやな!」「こんなんしたような気がする!」「なんか楽しかったわ!」など、断片的に思い出すことができますが、数分の時間の経過で、その出来事も、ご自身で話したことも忘れてしまいます。
歯の調子の悪化に伴い認知症が悪化
残存の歯が、折れたり抜けたりしてしまい、大好きなお肉料理が噛めなくなってしまいました。妻は、少しでも食べられるようにと料理を工夫しようとするが、妻も病気を患っており、何をどうしたらよいのか分からず簡単な総菜や外食で済ませていました。
夫は、なぜ自分が肉を食べさせてもらえないかが分からず、妻はその都度、歯の状態が悪く噛めないことを説明するが、「歯は大丈夫!痛みもない!」と、噛めない自覚がなく、喧嘩をすることが増えていきました。
仕方なく、妻は夫の食べたい肉を用意するが、何度も何度も噛もうとするが噛めずに諦め、ほとんどお肉を食べられないまま食事を終了することが増えました。食事が終わると、食べられなかったことはすぐに忘れるが、空腹感は残っています。
盗み食いの現場を見た妻は・・・
2時間ほど時間をかけても食べたい物が食べられず、満足な食事量を食べられない夫は、食事が終わり片付けを済ませた頃に、「腹減ったな・・・ご飯はまだか。」と、言うようになりました。食事が済んだことを伝えても夫は納得できず、毎回同じやり取りに妻はイライラして口調もきつくなっていました。
そんなある日、妻が寝室で寝ていると夫がいないことに気づき、台所へ行くと夫がパンやバナナをむさぼりつくように食べていました。妻は驚き、怒鳴るような強い口調で注意しました。今までにこんなことはなく、夫を卑しく、はしたなく感じ、相当ショックだったそうです。
怒鳴られた夫は、口にほおばっているものを出して隠し、まるで小さい子が母親に怒られている時ように、食べていないと言い張ったようです。
その後・・・
妻より、盗み食いの相談を受け、対応策を考えました。
① 食事量が減って体重が減少傾向にある状況で空腹感も強くなっているので、食事の回数を増やし1日に必要なカロリーに近づける。
また、 妻にとっての夫の問題行動(盗み食い)を減らし、夫の生理的欲求に対する当たり前の行動(おなかがすいたから食べる)を満たすために、夜食を摂る時間を作る。
妻の負担が増えますが、夫の卑しい姿を見るよりはマシとのことで協力してくれました。配食弁当の利用を検討していただき、妻の負担を減らして柔らかい食事を召し上がっていただくことを提案しましたが、妻の新しいことを始めることへの抵抗で拒否されています。
② 歯の調子を整える必要があるので、受診を勧めました。
家族の協力のもと受診でき、入れ歯を作ることになりました。噛むという行為と記憶力の間には密接な関係がありますので、自分に合う入れ歯を使うことが一番重要です。
③ 夫婦喧嘩の増加を予防するために行なった対策。
妻は夫の認知症を頭では理解できていても感情では納得できていない現状を支援者で共有し、妻の不安やストレスに傾聴し、一人で抱え込まなくてもいい状況を作りました。
支援中に夫の良いところ(いつも妻を気遣い、転ばないように支えたり、重たい荷物を持ってくれたり、妻を守ろうとしていること。など)を、妻に伝え、夫の悪い面ばかりではなく良い面にも注目するようにお伝えしました。
[参考記事]
「認知症と歯の残存数の関係」