地域密着型の特別養護老人ホームに入居されていたTさんは、硬膜下血腫のため92歳でこの世を去りました。笑顔の可愛いお婆ちゃんでした。
入居してからほぼ毎日、旦那様が面会に来ていました。旦那様は入居前から末期の癌だったのですが、Tさんが何かを訴えれば何でもして下さります。これは後のTさんにとって、良いことなのか?を施設の中で話し合ったこともありました。
Tさんには家族の意向で旦那様が末期の癌であることは話していませんでしたが、Tさん以外は「もう先は長くないだろう」そう思っていたとのことでした。
その意向を知り、施設側としてもなるべく旦那様との時間を大切にしていただこうと、面会の制限を行わないことに決めました。
旦那様もTさんをとても愛していらした為、「側にいる間は、元気でいる間は、甘やかしてあげたいんです。」そう仰っていました。
Tさんも、「私は末っ子だったから、何にもできなくて…お父さん(旦那様)がいないと何にも出来ないんだよ。」と仰っていました。
本当に仲の良い夫婦で、時にはTさんを甘やかし過ぎて、職員にも「私に1番に関わって。」と言うこともしばしばありました。他にも入居者様がいること、優先順位はその時々によって違うことをその都度何度も説明して来ました。
末期の癌である旦那様、それを知らないTさん。Tさんにはその事実を言わないでくれと頼む旦那様とご家族。そんな生活を2年程続けたある日、旦那様は突然施設に来なくなりました。Tさんも寂しそうにされていましたが、「お父さん(旦那様)も年だからね。風邪でも引いたのかしら?」そう話されていました。
ご家族からの連絡もなく、約2週間程経ったある日、ご家族から旦那様が亡くなったとの連絡を頂きました。体調が悪くなる寸前まで施設のTさんのところに通っていたとのことでした。
仲の良かったご夫婦だった為、旦那様が亡くなられたことをTさんに伝えるかどうか、ご家族と施設との間で話し合われました。ご家族の意向次第では話さないと言うこともできましたが、ご家族はご本人に話したいとの意向だった為、ご家族の方からTさんに話して頂きました。
その日は笑顔が素敵なTさんから笑顔が消えた唯一の1日でした。しかし、私たち職員に心配をかけまいと、次の日からは笑顔でお話をしてくださいました。
夫が亡くなってから認知症が悪化
多少の認知症もあった為、日に日に記憶は薄れて行った様ですが、時々、「お父さん(旦那様)は死んじゃったから…」と寂しそうに話されていました。そして、旦那様が亡くなってからのTさんは寂しさを紛らわすかの様に、職員の名前を呼んでは我が儘を言う様になって来たのです。
「甘い飲み物は体が痒くなるから嫌だ」「私には甘い飲み物をくれない」「どうして私のこと(着替えや洗面等)を1番にやってくれないの!」
支離滅裂なことを言うこともありましたが、しっかりと説明すれば分かって下さる、そんな方でした。しかし、ある日を境に徐々にどんなに説明をしても、同じことを何度も言い、直ぐに何を言われたのか忘れてしまうようになったのです。大きな声で騒ぐ為、職員の中にもノイローゼになりかけた人がいた程でした。
認知の障害が進んでいましたが、こちらも諦めずに何度も説明をし続けました。職員全員で話し合い、コミュニケーションを更に密に取る様にしました。
そんな日々が約2週間続いたある日、Tさんが熱を出したのです。日曜日だったこともあり、その日1日は様子を見る様にしましたが、中々目を覚ましません。
しかし、水分提供を行うとしっかりと飲んでくださっていた為、体調が悪くて目を開けないのだと誰もが思っていました。次の日になっても目を開けることはありませんでした。これはおかしいと朝イチで救急車を呼び、近くの病院に運ばれました。
硬膜下血腫
病院では「硬膜下血腫」と診断され、そのまま入院することになりました。頭の中に溜まった血を抜いた後もTさんの意識が戻ることはありませんでした。
そして、「いつ急変してもおかしくない、しかし、病院で出来ることはもうない。」と病院から連絡がありました。
家に帰って最期の時を待つか、施設で受け入れ、最期の時まで私たちが看るか。ご家族にも仕事がある為、家では看られないとのことだったので、私たちは「自分たちに見送らせて欲しい」とお願いをし、施設で看取ることに決定しました。
そう決めた2日後にTさんは施設に帰って来ました。食事も食べれず、喋ることも出来ず、意識のないTさんと向き合う事は辛くもあり、幸せでもありました。日中はリクライニングの車椅子に乗せ、施設の皆さんが話している所にいて頂き、職員も積極的に話しかけました。反応の返ってこないTさん。甘えてくれないTさん。
時には「自分で出来る事はしましょうね」と希望を叶えてあげられなかったことを後悔したりもしました。しかし、いつでも最後に思い出すのはTさんの笑顔。
病院から退院した3日後、Tさんは職員に看取られて92年の人生に幕を閉じました。旦那様が亡くなって丁度1年経った頃でした。ご家族は「お父さんが寂しくてお迎えに来たのね。本当に仲良しだったから。」と涙ながらに話して下さいました。
意識がなくなる前日、車椅子からベッドへ移乗し、オムツを替えた後、Tさんは私に、「ありがとう。あなたに見てもらえてすごく幸せだよ。」そう満面の笑みで言ってくださいました。それがTさんにとっての最後の言葉でした。私は、「どういたしまして。おやすみなさい。」そう笑顔で返し、居室を後にしました。
Tさんの最期が本当に幸せだったのか、私には分かりません。介護に答えはありません。しかし、私はTさんの最期の言葉「ありがとう。あなたに見てもらえてすごく幸せだよ。」が真実だったのだと信じています。
[参考記事]
「特別養護老人ホームの特徴とは。待機者が50万人以上」