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ショートステイに行きたがらない認知症の人への対応

 以前私は、とある特別養護老人ホーム(以下、特養)に勤めていました。特養は、いわゆる『終の住処』です。介護が困難な場合や、身寄りのいない方などのお家であり、24時間365日衣食住と必要な介護を提供します。若い方で50歳代、最高齢で107歳と、幅広い年代の方が利用されていました。

 今回は、そこで出会った方々と介護のお話をしたいと思います。

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世話好きAさん

 少し猫背であるものの、ちょこちょことフロア内を歩き、通りすがる利用者さんや職員に東北なまりで話しかける、声の大きな元気な方がいます。みんなに「お母ちゃん」と言われているAさんです。

 一見、普通の元気なおばあちゃんですが認知症を患っており、記憶力の低下が目立ちます。一晩経ったら忘れてしまうことが多くあります。

 ですが、元々の陽気な性格と、「人の世話・お手伝い」という生き甲斐があるため、あまり悲観する場面は見られません。職員が洗濯物をたたんでいれば、「どーっこいしょ!」と隣に座り、自ら一緒にたたんでくださいます。最後にお礼を述べると「いーんだよ!まだあったらもってきな!」と私よりも元気な返事が返ってきます。

 食後に食器を片付けていれば、「これもね!」と運んでくださいます。車イスを2台押していると、「任せな!」と言って手を貸してくださいます。

 ただ、まだ食べている途中なのに下げてしまったり、押してくれた車椅子が壁にぶつかってしまったりと、ちょっと困る部分や他利用者さんとのトラブル、Aさん自身も危険が及ぶ場合もありました。

 ある時、見かねた職員が「もう!やめてください!」と強く言ったのです。Aさんは悲しそうな表情でとぼとぼとその場を後にしたのですが…

 認知症で記憶力は低下しているのに、嫌な記憶というものは残るのですね、しばらく自室に引きこもり、お手伝いどころか会話をしようともしなくなってしまいました。

 職員で話し合い、謝罪と、「Aさんがいないと、仕事がはかどらなくて困っちゃう。助けてほしいな」等と、『あなたが必要です』という事を伝えていきました。数日後、再び洗濯畳みをする姿が見られました。が、まだ口数は少なめです。

 それからは、Aさんに安全にお手伝いしてもらえる部分をきちんと明確にし、それ以外の部分も「やるよ!」と言われた際は、別の仕事を依頼して、お互いに良い関係を維持出来るようにしました。

ショートステイなんて聞いてない!ご立腹Bさん

 特養には、ショートステイといって、数日だけお泊まりする事もできる所があります。

 Bさんのご家族は、介護疲れの予防・解消に、月に1回1週間程のショートステイを利用されます。認知症により気性が荒い性格になったとの事で、「お父さんだけ泊まり」と言うと怒って自制出来なくなるからと、いつも「病院で診察」と嘘をついて連れてこられるのです。

 そうすると当然「いつになったら娘は迎えにくるんだ?」と疑問を抱きますよね。そこで職員が「娘さんから電話ですよ」と電話を渡します。すると、始めは「早く来い!」等と怒った口調で迎えにくるよう話していますが、しばらくすると「なんだよしょうがないな…あさっては必ずだぞ。」と口調が落ち着きました。

 そして電話を切ると、職員に向かって「仕事で帰れなくなったそうだ。今日明日は泊めてもらえるか?」と言い始めました。表情は硬いものの、強い怒りは収まっているようです。

 すかさず職員は「もちろんです!すぐに用意しますね。ちょうどお茶が入ったので、お茶菓子と一緒にお部屋にお持ちしましょう」と笑顔で穏やかに対応します。Bさんも「じゃあお願いするよ」とつられて表情が和らぎます。そしてその後は穏やかに過ごされました。

 実は、タイミング良くかかってきた娘さんからと言う電話は、娘さんのフリをした職員からの電話だったのです。どんな内容かと言うと「お父さんごめんね、ちょっと仕事で急遽来週の出張が明日になってしまったの。あさって帰ったらその足ですぐ迎えにいくから、泊まってってくれる?職員には今話したから。今日行けないでごめんね」といったものです。

 ポイントは、迎えにいく日の具体的な約束です。「ちょっと待ってて」などと曖昧な言い方では「いつまで待たなくてはならないのか。本当にくるのか」などと不安が募るのです。

 記憶力が低下しているため、たびたび「あれ?迎えはいつだっけ?」と聞いてこられますが、「電話があったのは昨日であさってにお迎えと言ってましたね。ちゃんとあさってまでのお部屋の用意していますから安心してくださいね。」と、最終日まで引っ張ります。

 施設での泊まりや職員に慣れ、安心出来る環境にいる事で、穏やかに過ごせるのだと思います。職員の「安心感を与える」的確な対応も必要不可欠です。

 一般に、嘘をつく事は良くないとされています。しかし、疾患や精神状態によっては必要な嘘もあると私は考えています。

 「帰る!」と怒り怒鳴り散らしているBさんに「5日間泊まりですから、今日は帰れません。」と本当の事を話したらどうなるでしょう?職員に対しても、家族に対しても不信感を抱きます。

 記憶力が低下しても、マイナスの気持ちは記憶に残る事が少なくありません。なんとか5日間過ごしたとしても、再び同居生活をする家族とどう過ごすでしょう。具体的な内容は忘却したとしても嫌な気持ちは残り、それにより認知症が進行したり、気持ちの変化がより激しくなったり、暴力にまで発展する可能性もないとは言えません。介護を行う家族の為のショートステイのはずが、家族の負担を増やしてしまう事になりかねません。

 ただし、職員との信頼関係がないと成立しませんし、性格や精神状態なども把握している必要があります。不安や恐怖を与えるような嘘は当然いけません。適切なタイミングで、的確な内容で、安心して過ごせる為につく嘘が、介護現場にはあるのです。

お口が小さい、C先生

 美人でお上品な雰囲気のCさんは、疾患により徐々に全身の関節が固くなり、ホームで出会った頃はもうご自分では動けず、全身が棒のように固まってしまっていました。腕も足も首も、関節という関節はほとんどが固まっているのです。

 ご自身が困るのは言う間でもありませんが、介助者としても介護が難しくなる事が多くあります。例えば、股関節が曲がらないという事は、“座る”姿勢がとれないという事です。その為、Cさんの車イスには、ベビーカーのような股の所で留めるYの字のベルトがあり、それでなんとかずり落ちずに車イスに乗っているという状態でした。ベッドから車イスへの移乗は多くのコツがいるため、新人さんには1人では任せられません。

 また、認知機能も低下が著しく、言葉でのコミュニケーションはもうほとんどとれません。質問に答える事はおろか、ご本人の意思があるのかの判別もつかないような状態でした。

 ただ、気分の波はあるようで、にこにこ朗らかで、何かつぶやいているときもあれば、口を一文字に結び硬い表情でいることもありました。

 そんなCさんの介助で、お風呂も排泄ももちろん大変でしたが、実は最も大変な事が、食事でした。そう、顎も関節になっているため、口の開閉や噛む動作(咀嚼)が出来なくなってくるのです。

 食事が出来ないという事は、命に直結します。なんとしてもお食事をとってほしいという気持ちが強くても、力づくでは口は開きません。しかし、時々上手にお食事をとる事ができます。何の具合でスムーズに開いたり、頑に閉じたりするのでしょう。

 ある時、Cさんは学校の先生であった事を知り、Cさんに「C先生!」と呼びかけてみました。すると、ハッとした表情をして私の方へ向き、「なあに?」といいそうな柔らかい笑顔を向けてくださったのです。正直私は驚きました。のどは乾かないか、お風呂は熱くないかなど質問しても、振り向きもしない事がいつもの事だったのですから。

 その後も「先生は…」と話しかける事で、にこにこときちんとこちらの話を聞こうとしてくださります。認知症の方は、最近の事は記憶にとどまりにくくても、若い頃、とりわけ一番自身が輝いていた時代の事はよく覚えています。中には、心がその時代にタイムスリップしている方もおられます。Cさんもどうやら先生として今を生きていらっしゃるようでした。

 そこで、食事です。「先生、一口どうぞ」と勧めると、「ふふふ」と照れたように小さく笑いながら、口を開けてくださったのです。それでも大きくは開けられないのでCさん用の小さなスプーンでやっとこ一口といった感じなのですが、大きな発見でした。

 その後も、学校の話をしている間は笑顔で聞いてくださり、口を閉じてしまう事はありませんでした。毎食上手くいくとは限りませんでしたが、職員の気持ちにもゆとりが生まれるなど良い変化のきっかけとなりました。

 その方の背景を知る事は、良い介護・良い関係を築くことにつながります。ご本人から聞けない場合はご家族から聞きます。

 また、いつも話しかけて、どんな事に興味を示すか、反応を示すかを探り、笑顔を引き出す事に努めていました。緊張がとけて笑顔になると、こちらの話を聞いてくれやすく、介助がしやすくなります。

 たとえ、言葉が理解出来なくても、体が自由に動かせなくとも、意識がこちらに向いてくれるだけで、また緊張がほぐれることで力が程よく抜けるので、介助しやすくなるのです。

 様々な方と出会い、たくさん勉強になる体験をしました。介護は確かに、身体的にも精神的にも大変です。ですが、小さな喜びが大きな糧になり得ます。ただし、それには常に利用者の立場になり考え、小さな変化も見逃さず、色々と試行錯誤して、やっと得られるものだと思います。「してあげたのに」という気持ちがあると、利用者さんの小さな笑顔を見逃します。

 自分のアンテナの大きさが、介護のやりがいの大きさを感じる事と比例していると思います。介護現場のあれこれ、興味を持って読んで頂けていたら嬉しいです。

[参考記事]
「特別養護老人ホームで死を看取る。病名は硬膜下血腫でした」

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