この記事は30代の女性に書いていただきました。
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認知症のお年寄りを在宅介護する上で、大変なことはいろいろありますが、中でも「徘徊」はかなり難しい課題のひとつです。同居の場合、極端にいえば毎日24時間、年中無休で介護が続く訳ですが、その日々で気を張り続けるのも限界があるし、介護者も疲れでぼんやりしていたり、体調の悪い時だってあります。
そんな時に、認知症のお年寄りが不意に家を出て、どこかを徘徊してしまったら…。安全面からも、健康面も、世間体としても、想像するだけで茫然となります。
私が小さい頃に同居していた父方の祖父も同じような症状があり、外へ散歩に出たあと家に戻れなくなってしまい、よく警察に送られて帰ってきたのを覚えています。
祖母の徘徊
私が約4年に渡って介護した認知症の祖母もまた、徘徊といわれる行動を起こしたことがありました。祖母はもともと外出が好きで、家の中にはほとんどいない人だったので、毎日近くの知人の家や畑まで歩いて行っていました。
それがある時、シルバーカーと呼ばれる手押し車を押しながら、畑を通り過ぎてずっと遠くまで歩いて行ってしまったのです。それを見かけた近所の人が不審に思い、祖母に声をかけて家に戻るように言ってくれて、その時はそれ以上の徘徊に至らなかったのですが。
それはまだ割と認知症の初期だった頃のことで、もう少し症状が進んだのち、祖母はだんだん昼夜の区別がつきにくくなっていったのですが、それに伴った形での徘徊が増えていきました。
例えば夜のはじめ、薄暗い中を、朝だと勘違いして畑へ出てしまうことがありました。その頃、祖母は寝るのが早かったので、いつも夕方17時半か18時にはもう布団に入っていたのですが、それに安堵してこちらもちょっと用事に出ていたり、目を離しているすきに起きだして外へ行ってしまうのです。
気がつくと祖母がいなくなっていて、慌てて表を捜しにいくと暗闇の中、シルバーカー(手押し車)を押して畑の方向に進んでいる祖母の姿が…。「ばあちゃん、夜だよ」と声をかけて、どうにか家へ連れ帰ったものです。本人は「そうかい、朝かと思ったねえ」とのんびり話していて、なんともいえない、やりきれない気持ちになる帰路でした。
この時はすぐに見つかったから良かったものの、祖母がもしもっと遠くまで行ってしまって発見できなかったらどうしよう、そんな不安がこみ上げるのも日常になっていました。
徘徊には目的がある
よく言われるように、「徘徊」は、認知症のお年寄り本人の中では、明確な目的と意思があって歩いているもので、ただぐるぐる無意味にうろついているわけではないのです。その目的が自分で分からなくなってしまったり、行きたい場所や距離感の認識がずれてしまっているために、目に見える姿としては「徘徊」と映るので、それを考えると切なくなります。
介護する側が怒ったり、徘徊を止めるように強く言ったり、部屋に閉じこめてしまったりしても、それは全く解決にはなりえません。優れた介護施設などでは、認知症のお年寄りと一緒に歩いたり、他のことで関心をそらせて穏やかに部屋へ連れ戻したり、本人の意思を侵害することなく寄り添っていると聞きます。
なかなか家族による同居介護で、毎日そこまで丁寧な介護を叶えることは大変です。それでも、周囲やデイサービスなどの助力も借りつつ、認知症のお年寄りも介護者も、少しでも楽に健やかに暮らせるようにしたいものです。
日々介護をしていると、介護者は周りが考える以上に人目や世間体も気にかかり、徘徊があることを思い詰めてしまいやすいのですが、なんとかうまくその感情とつき合ってゆけたらいいなと祈る思いです。
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