この記事は30代の女性に書いていただきました。
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私は約4年、自宅で祖母の介護を経験しました。祖母は大正生まれ、とても元気な人でしたが、80代になってから認知症の症状が出て、要介護度が上がっていきました。認知症は誰にとっても他人事でなく、またかなり若いうちに発症する人もいます。
私も知識としてはそのことを知ってはいましたが、実際に祖母が認知症になっていった時はやはり戸惑いが大きく、すぐにその現実を受け入れるのは難しかったです。
はじめは、私も母も、祖母が認知症だとは思いもしませんでした。祖母は本当に元気で、畑仕事もしていたし、話好きで近所の人といつもおしゃべりして過ごしていたので、家族も知人もみんな「ばあちゃんは大丈夫」と信じて疑わなかったのです。
少しずつ、祖母が同じことを何回も言うようになったり、人の名前を忘れることが目立っていっても「まあ年だから」と、自然な加齢によるものだろうと楽観的に見ていました。実際、もの忘れは誰でも年をとれば増えますし、それ自体が認知症の症状というわけではありません。
祖母の症状が悪化
でも徐々に、祖母の様子が他の部分でも変わっていきました。私は当時、別な街で一人暮らしだったのですが、あるとき帰省したら祖母と母が同じ部屋に布団を敷いて寝ていると聞き、その前はそんなことはなかったので「どうしたの」と尋ねました。
すると、「最近ばあちゃんが、夜中にトイレに起きるんだけど間に合わないことが増えて」と母が言うのです。その晩、泊まってみると深夜に祖母が起きだして(母も起きますが)、すでに漏れてしまっていました。
さらに翌日の昼間、祖母の部屋を見てみると、家具の陰に汚してしまった下着や衣類が隠してあって、私は「これは大変だ」と思いました。その出来事をきっかけに、私は当時の仕事を辞めて、住んでいたアパートを解約し、実家へ戻って祖母を同居で介護することに決めたのです。
介護離職がまさか自分に起こるとは思ってもみませんでしたが、それが現実になるとやはりお金の面で不安があったことは事実です。しかし、母だけに介護を任せるわけにはいかず、これが現実なのだと諦めることしかできませんでした。
私がそのための手続きを進めていた間に、母は祖母と病院へ行き、また地域のケアマネージャーさんも家に来て、祖母が認知症の初期であることがはっきりしました。その当時の要介護度は2で、身体的にはほとんど健康で問題はなく、認知症の症状が少しある程度でした。
認知症の診断が下ってからも、当然、祖母の様子は急激には変わりませんでした。たまにしか会わない親戚などは、「おばさんは本当に元気でしっかりしてるね」と感心していたし、外目には祖母は確かに、それまでとほぼ同じに見えました。
でも一緒に暮らす中で、祖母の変化は増していきました。よそいきの服を着る場面でパジャマを着て平然としていたり、おしゃれな人でしたが衣類の夏物冬物に頓着しなくなったり。長年続けていた畑仕事も、だんだん作物をうまく育てられなくなったり、祖母の特技だった編み物も完成させられなくなったり。大好きだった刑事ドラマや時代劇も、内容を理解しにくくなっていったり。
お金の問題
幸い、祖母は私や母の顔を忘れるというようなことはなく、暴力的になることもなかったので、それは幸運なことだったと思います。認知症の症状は個人差が大きく、それに日によってかなり様子に波があります。
祖母の場合は基本的に発症前の性格と変わらず、急に怒りっぽくなることなどもありませんでした。食べものの好みは、好きなものは同じままでしたが、苦手だったものは認知症が進むにつれて食べるようになっていきました。そんなふうに、認知症の症状は少しずつ進行していきます。
同居介護で家族がそれに寄り添うためには、休息と気分転換、そして外部からのサポートが必要不可欠と思います。それとやはりお金の問題があります。私の場合には介護離職しているので、お金の面で他に収入を得なければいけませんでした。
そこで、私が始めた仕事が記事の作成(ライティング)です(まさしく、この記事もお仕事で書いています)。元々私は文章を書くことが好きだったので、介護の合間にもすることができる仕事としてはピッタリでした。「ランサーズ」という会社が仕事の仲介をしてくれて、しかもネット上で全て完結しますので、介護離職を考えている人は一度会社を辞める前に試してみるといいです。
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