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認知症になっても過去の記憶は残っている事例(ユキちゃんの真実)

 

 通所介護を利用していたMさん(80代後半女性)は、週3回通所介護を利用して在宅で生活されている方でした。

 家族も協力的で、3階建ての家にエレベーターを設置し、Mさんを可能な限り在宅で過ごせるように住宅改修にも力を入れていました。

 MさんのADL(日常生活動作)は、ほとんど歩行は不可なものの、上半身に特に支障はなく、車いすを使用しています。重度の難聴を患っており、同時に短期記憶障害もあります(介護度は4)。

 重度の難聴のため、会話を促す時にはレクチャーを取り入れながら意思疎通を行ないます(お風呂を促す時は顔を撫でて合図するなど)。

 短期記憶障害(長谷川式スケール0点)により職員の名前や、自分が何をしていたかなどを覚えることは全くできない方でしたが、いつも笑顔でソファーに座り、ニコニコしていました。

[参考記事]
「よく使用される認知症テストは2種類。長谷川式簡易知能評価スケールとMMSE」

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あだ名をつけられる

 私が通所介護に勤務していた当時、男性は私一人でした。Mさんが通所介護を利用し始めた際、自己紹介をしても職員の名前を覚えることはなく、発言は少ない方でしたが、何か用事があると「ちょっとちょっと」などの言葉で職員に声をかけていました。それ以外はいつも笑顔でいる方でした。

 そんな中、Mさんが私を呼ぶ時にはあだ名を使います。

「ユキちゃん」

 私はそれに沿った名前でもありませんし、最初は驚きました。それでも何度も私を呼ぶ時には「ユキちゃん」なのです。「私はユキちゃんではないですよ。男ですし」とMさんに何度言っても呼び方を直してくれません。

 上司に相談すると、知り合いか誰かと間違えているのかもしれないし、支障がなければそのままでもいいんじゃないかというアドバイスでした。Mさんの中では私は「ユキちゃん」になりました。

Mさんの送迎

 Mさんの家は施設より比較的遠い場所にあり、送迎の順番では最後に組まれていました。帰りの送迎時、家族は仕事のため不在で、家族が夕方に戻るまで、そのまま訪問介護で引き継ぐということが多かったです。

 Mさんの送迎車は車いすのままでもそのまま乗れる大型車でしたので、私が運転することがほとんどで、いつも「ユキちゃん運転気をつけてなー」と言ってくれます。

 Mさんが通所介護を利用続けて数ヶ月。特に大きな変化もなく、私はMさんから「ユキちゃん」と呼ばれ続け、職員にも「ユキちゃん呼んでるよ」などとからかわれる始末でした。

 そんなある日、私はいつもの流れでMさんの送迎を担当しました。その日、Mさんのお嫁さんが仕事の休みの日だったということで、訪問介護のヘルパーと共に迎えてくれました。私は挨拶をすませ、いつものように帰ろうとしました。

「ユキちゃんまた頼むねー」

 Mさんがいつものように声をかけて手を振ってくれた時、お嫁さんの表情が驚いた表情に変わりました。そして私を呼び止め、お嫁さんが私に走り寄ってきて言いました。

「あなたの名前は何ていうの・・・?」

「ユキちゃん」の真実

 お嫁さんに問いかけられた私は、Mさんとの今までの経緯を説明しました。お嫁さんはそれに対してお詫びをした上で、「ユキちゃん」の事実を説明してくれました。

 「ユキちゃん」は「ユキヒロ」君といい、お嫁さんの息子で、10代後半の若さで病気で他界された方でした。Mさんの孫にあたります。Mさんはユキヒロ君のことを「ユキちゃん」と呼んで大変可愛がっていたそうです。

 私はユキヒロ君によく似ていたそうで、お嫁さんも少し驚いたとのことでした。私自身も深く考えずに「ユキちゃん」のまま接してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 お嫁さんに、私が「ユキちゃん」としてこのままMさんに接していいものか相談しました。お嫁さんは笑顔で「そのままユキヒロで接してあげてください」という返答をしてくれました。

おわりに

 利用者様や家族様にもそれぞれ現在までの過去があり、それぞれの経緯があります。既往歴や家族情報が職員に提供されたとしても、その情報には限界があり、細かいところまではなかなか把握しきれないものです。

 認知症と診断され、本人の現在の記憶はすぐに消えてしまっても、過去の記憶(長期記憶)は深く覚えているケースはよくあります。

 Mさんは私が通所介護に勤めている間、最後まで「ユキちゃん」として接してくれました。異動でその後私は他の部署に行きましたが・・・心に深く残る事例でした。

[参考記事]
「認知症により障害を受ける3つの記憶力」

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