主人の祖母(現在93歳)は、もともと手先が器用で、裁縫が得意、俳句や俳画も趣味で長年作品を作り続けておりました。また、おしゃべりが好きで、交友関係も広かったです。
それが、5年前に祖父を亡くしてから大きな変化が起きるようになりました。寂しさからか、だんだん物忘れがひどくなり、昔のことは正確に覚えていても、つい最近のことがあまり記憶にないような状態になっていきました。そして、とうとう1年半ほど前に、軽度の認知症と診断されました。
ただの物忘れからだんだん増す認知症の症状
最初は、ただの物忘れ程度のものだったのですが、ある時、みんなが認知症だと疑いだした事件が起こりました。祖母がいつも置いている場所に財布がないと言いだし、挙げ句の果てに、「誰かに盗られた」と言い出しました。いわゆる「物盗られ妄想」です。
1日目は、一番身近にいる私の母のせいだ、と言い張っていたのですが、2日目になると、自分が言ったことも忘れ、泥棒が入ったのだ、と言い出しました。あまりにも、筋が通らない事を主張するし、絶対に泥棒が入ったとは思えなかったので、母は祖母の部屋中を探し、財布を見つけました。すると、祖母は、何もなかったかのように喜び、今まで母を泥棒扱いしたことをすっかり忘れたかのような態度を取っていました。
家族は、その態度に、わざとそうしているのか、本当に忘れているのか、戸惑っていましたが、あまりにもおかしな事を言う日が続いておりましたので、病院を受診いたしました。そうすると、やはり、軽度の認知症と診断されました。
最初のうちは、その程度のやり取りだったのですが、日に日に話す内容がおかしくなり、次は「日にちや曜日」が分からない見当識障害や「お金の計算」が分からなくなっていきました。毎日、日にちと曜日が間違っているので、病院を受診する日や母と出かける日など、紙に書いて、机に毎日貼っています。
しかし、「今日受診日だと思って準備をしたのに、明日だなんて、どういうことだ」と怒り出したり、前日に翌日の予定を話しているのに翌朝になるとすっかり忘れていて全く準備をしていなかったりと、1つ1つのことをクリアできなくなっていきました。
さらに、症状が増してくると、私は生きている意味がないから殺してくれ、と言い出しました。波はあるものの、被害妄想がひどくなり、やる気がだんだんなくなり、昼と夜も逆転するような毎日になっていきました。最初は「日にちや曜日」だけだった見当識障害がさらに悪化し、今度は昼と夜の区別も付かなくなっていったのです。
加速する認知症の症状に家族が取った対応
ある時、認知症を理解するための講習会が開催され、私は受診しました。認知症の方は、自分で自覚がなく、同じことを何度も話したり、聞いたりするので、家族の対応が、だんだん冷たくなっていったり、何度も話しているからと怒ったような態度を示すようになっていくと教わりました。そして、本人は家族からどうして怒られているのか、冷たい態度を取られているのか理解できず、孤独になり、余計に症状が悪化すると習いました。
私の家族も講習会で言っていることと同じ過程をたどって、だんだん冷たくなっていきました。これではいけないと思い、それ以降は、何度も同じことを聞かれても、初めて聞かれたかのように返事をしたり、答えたり、こちらは根気と忍耐が必要でしたが、少しでも症状が悪化しないように同じ話をずっと聞きつづけました。
波はありましたが、祖母は自分を責めるようなことを言ったり、殺してくれ、と言うようなことが、少しですが減りました。1か月に1回はそのような事を言い出して、暴れるようなことがあったのが、2ヶ月に1回くらいに期間が伸びました。周りがやさしく接することで、多少の変化が見られたのです。
今もまだ、同じ事を繰り返したり、昔のことを何度も話したりしてはいますが、全てをこちらも受け止めているとしんどくなってきますので、ある程度の聞き流す技も身につけ、傷つけない程度に適当に話を合わせ、気長に見守っています。認知症の方だからとか関係なく、やはり人には優しく、接することを日々学んでおります。
[参考記事]
「認知症による物盗られ妄想の対応で大事なポイントは3つ」
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