夜に裸で外出、徘徊を民生委員が発見
はじめにBさん(70代後半女性、独居、「要介護1」、認知症)の異変に気付いたのは民生委員さんでした。民生委員さんから「Bさんが夜になると裸で外を出歩いている」と、地域包括支援センター(以下、包括)の保健師に連絡がきたのでした。
Bさんはもともと要介護認定を受けていましたが、デイサービスなどの介護サービス利用に至っていなかったため、担当のケアマネージャー(以下ケアマネ)がいない状態でした。
そのため、地域包括支援センターの保健師と社会福祉士がBさんの自宅を訪問しました。
夏なのにストーブを付け、ススだらけの不潔な自宅
いざ訪問すると、Bさんの家の中は夏なのにストーブをつけて煤だらけで、服は脱ぎっぱなし、焦げた鍋にはいつ、何を調理したのか分からない黒い物体と、いわゆる不潔状態のようでした。
そのため、これは早急にBさんを支援する必要がある事を確認した保健師は、この件を地域ケア会議にかけました。その際、ケアマネとして呼ばれたのが私でした。参加者は民生委員、福祉課、保健師、社会福祉士などが参加しました。
結果、Bさんについては介護サービスだけではフォローできないこと、家族が遠方で協力を求められないこと、の2点が主な問題点だという事を確認し、私を中心に対応するケア体制を作ることになりました。
私は困ったことは無い、とは本人の談
私はまず、自宅へ訪問し、本人と面接しました。Bさんは「私は困ったことはないの」と話されていましたが、部屋全体に尿臭が漂い、さらに入浴もしていないであろうと思われたので「お風呂が家にないようだから、お風呂、送迎付きで行きませんか?」と提案しました。
するとBさんも「行こうかな」となりましたので早急に事業所の利用を調整しました。入浴となれば、デイサービスの利用です。依頼した事業所には「当面は入浴と昼食だけのサービスだけで、短時間の利用で対応してほしい」と相談し、快諾を得ました。利用回数は週3回からスタートすることとしました。
なおBさんについては経済面では夫の遺族年金があり、心配はありませんでした。
利用開始当時は緊張していたようですが、すぐに馴染んでくれて楽しそうに過ごし、食事も全量摂取してくれていました。そのため通常のサービスの組み込みが可能だと判断し、通常のレクリエーションなどのサービスを組み込み、開始しました。
しかしこういった調整は中々難しいもので、Bさんは「わしは子供じゃない。あんな塗り絵とかできるか!」と興奮したようで、事業所より私に連絡があり、再度短時間での対応を依頼することとなりました。
サービス利用開始後も止まない夜間徘徊、その原因は・・・
サービス利用後も夜間の徘徊は収まることがなく、私の提案で再度地域ケア会議を開催しました。
認知症による夜間徘徊という部分もあって、介護保険のみのサービスでは本人を守るのに限界があることを私は会議の場で参加者に伝えました。
すると福祉課からは毎日のBさんの安否確認のための乳酸菌飲料の宅配サービスと、緊急警報装置の設置、自宅の台所をガスコンロからIH対応に変更する、ということで話がまとまりました。
民生委員さんからは「自分1人では夜の徘徊に対応しきれない」と不安が漏れたので「まずは徘徊のリズムを把握しましょう」と私から提案し、了解を得ました。
その後、徘徊をした日にちなどを私と民生委員さんで調査したところ、月に1回のみ、それも決まって15日に徘徊していることがわかりました。そのことをBさんに「15日は特別な日なの?」と聞くと・・・
「夫の月命日なの」
と。
これで原因はわかりました。
あとは対応ですが、誰もが15日の夜に対応ができるわけではないので、徘徊のリズムはわかったものの根本的には解決していません。そこでまた再度地域ケア会議を開催し、今度は警察、消防(団)、民生委員、地域包括支援センターなどが参加し、夜の徘徊に対しての相談をしました。
するとまずは警察がその日のパトロールを強化してくれること、そして同様に消防も対応してくれることになりました。
警察からはタクシーや路線バス、FMラジオなどの協力を得て地域全体で発見体制を作る体制ができました。行政もこういった部分での協力はしてくれますので、積極的な会議や地域体制の構築はトライしてみるものだ、と感じました。
なお、徘徊中のBさん発見の際は強引に連れ戻すことなく、見守りのみの対応としました。なぜなら、徘徊しても自宅には戻れているからでした。
ともあれ、これでBさんに対するSOSネットワークの構築が完成しました。
認知症とともに、よりよく生きることの出来る地域づくり、の第一歩といったところでしょうか。
まとめ
毎年認知症のお年寄りが徘徊して発見されず、凍死や事故にまきこまれたりすることが増えてきて問題になっています。しかし、こうして話し合いや地域連携を図ることでSOSネットワークの構築も可能なのです。
そのための礎が私の町では完成し、誤解を恐れずに表現するならば「安心して徘徊できる街づくり」ができたわけです。
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