ミツさん(90歳)の悩みは、「見知らぬ人」が常に周りにいることです。それは介護者であったり、老人ホームの他の入所者だったり、面会のご家族であるのですが、長く一緒にいても、その人をすぐに忘れてしまうので、常に見知らぬ人になります。
認知症により、身内の顔すら分からなくなっているのは悲しいことですが、ミツさんの場合、なぜか長男が亡くなったことは認識していたようです。この精神的なショックが介護拒否に繋がっている事例を紹介します。
ミツさんの介護拒否の理由は長男の死?
ミツさんには3人の息子さんがいます。それぞれご結婚されて、ミツさんは5人のお孫さんと、ひ孫さんまでいる大家族の、大おばあちゃんになりました。
長男のサダオさんはミツさんの長男で、3年ほど前に脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人になりました。68歳の若さでした。サダオさんが亡くなった頃のミツさんは、ホームに入居して1年以上経っていましたが、その前はサダオさんのご家族と暮らしていました。
普段から大人しくあまり表情がないので、サダオさんの訃報を聞いた時も、果たしてミツさんに事態が飲み込めているのかは分かりませんでした。ただ、小さな声で何事かぶつぶつ言いながら、ゆっくりその場からいなくなってしまいました。この時には精神的なショックがあったかどうかは分かりませんでした。
ご家族とスタッフの間で、ミツさんに介助付きでお葬式に出席してもらうかで話合いが持たれましたが、ご家族の希望で出席は見送りになりました。お葬式が終わって暫くしてから、3男のヒロシさんが、老人ホームにサダオさんの写真を持ってきてくれましたが、ミツさんは表情の無いままでした。
それから数日してから、サダオさんについての死の口癖が出始めました。
ミツさんの口癖は
「ひと月前にサダオが死んだ」と「サダオは次男坊」
面会に来られたご家族やスタッフが「サダオさんは長男よ」と言うと「ああ、そうか」と返事をされることもありましたが、ミツさんの中のサダオさんは、「次男」で固定され、「ひと月前」も時間が流れても同じままです。
「ひと月前」は、ミツさんの中の、ほとんど全ての過去と現在を表します。ただ「ご結婚はいつですか?」などの問いには(無視されるのが殆どですが)何拍か置いてから「ずーっと前」と答えてくれることもあるので、記憶や時間の認識は、何もかもが混沌としているのではないようです。
ホームでの生活が始まって1年間、急激な環境の変化にも関わらず、比較的落ち着いていたミツさんでしたが、「ひと月前にサダオが死んだ」という口癖が出始める前後あたりから、介護されるのを極端に嫌がるようになりました。表情は、やや不快を表し、介助の手を払いのけます。お薬を飲むのも、トイレ誘導にも手をパタパタさせて介護拒否をします。そして自分の服の下の部分を引っ張ったり、お気に入りの小さなタオルをさすったりします。
ミツさん自身はあまり表情がありませんが、介護職員の表情には敏感です。手をパタパタさせた後は、じっと見つめてきます。できるだけミツさんに安心してもらえるように、微笑んでゆっくり話しかけるのですが成果は上がりませんでした。ですので、お薬は食事に混ぜて、飲んでいただくようにしました。
ミツさんの介護拒否が、長男のサダオさんがお亡くなりになったことと関係しているのかは分かりません。認知症の症状のひとつとも取れます。ただ、時期を考えると、やはりミツさんが自分の子供であるサダオさんを失って、心を痛めたのが理由になるのではないかと思います。精神的なショックがあると介護拒否に繋がる場合もあることを学ばせていただきました。
[参考記事]
「介護拒否のある認知症の方への対応例」
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