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介護職の仕事を紹介します。介護職員と家族様との温度差は大きい

 

私は、高校を卒業してから、介護職の道へと進みました。最初は高い理想を持って働き始めましたが、正直楽しいことだけではありません。今回は私の介護職としての経験をお話します。

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・介護職について

私の介護職のスタートは、病院からだったのですが、介護職のイメージってどんな感じを持ってますか?

高校を卒業したばかりの私は、お年寄りのお世話=ボランティア感覚でいました。手をつないで、一緒に歩いたり、お話したり、とそういうイメージで目をキラキラさせて就職しました。

私が就職した場所は、療養型の病棟でした。患者さんを車椅子に乗せる技術、入浴介助に、食事介助、話を聞くなど勉強することは沢山あります。

ですが、毎日クタクタで、正直患者さんとお話する余裕なんてありませんでした。例えば夜間せん妄の方は、昼間とは違う顔をしていて昼間は物静かなのですが、夜になると多弁になる方がいます。妄想も入っているせいで、「ベッドの下に赤ちゃんがいるので、ご飯を食べさせてください〜」と泣きながら頼まれたこともあります。

ですが、私は「赤ちゃんなんていませんよ」と軽くあしらってしまいました。本人はいると思っているので、否定されると酷く混乱をします。そうなると感情的になって怒る人もいます。今であれば、話を合わせて「分かりました。赤ちゃんにご飯をあげますね」と言います。

療養型病棟から、グループホームへ

時間に追われる日々に疲れた私は、その頃流行ったグループホームへ再就職いたしました。

病院と比べて、1人1人の生活をサポートするグループホームは、本当にやりがいのある仕事でした。全員、軽度から重度まで認知症は発症されているので、その方にあったケアが必要です。

昔、裁縫が得意だったSさんというお上品な女性がいました。Sさんは、歩行状態は問題ないのですが、重度の認知症です。夜になると、夜な夜なトイレットペーパーや、自分の紙パンツなどを綺麗に手で割いてしまいます。

トイレットペーパーは共用のものですので、認知症が軽度の方は、Sさんがトイレットペーパーを割いているのを見て、Sさんに激怒する事もあり、周辺ともトラブルになっていました。

本人はどこ吹く風ですので、お上品に鼻歌を歌ってトイレットペーパーをお部屋に持って帰られます。そして、ご丁寧に、トイレットペーパーを全部巻き取り、トイレットペーパーの芯の中に入れられたりします。まぁ、見事なトイレットペーパーの作品がタンスの中にいくつもありました。

育ちはよい方なので、その面を他に活かせないかと、書道や花道などの余暇活動をしていただきました。字も凄く達筆だし、手先は凄く器用なんです。彼女をなるべく1人にしないように、昼間は洗濯たたみなども手伝ってもらいました。

でも、目を離すと、洗濯物を自分のズボンの中にしまわれて、部屋から出ていこうとされます。ですから、Sさんと会話をしてコミュニケーションをとりながらお手伝いをしてもらいました。

その成果が出たのか、トイレットペーパーは、相変わらずスキを見ては部屋に持って帰られるのですが、以前より回数は減りました。

Sさんの他の問題行動といえば、施設の外へ徘徊されるので、徘徊防止策を考えました。部屋の近くの非常口からいつも出ようとされるので、愛する息子さんの写真をお借りしてカラーコピーして貼り出した事もあります。

ただ、カラーコピーした写真を貼るのではなく、吹き出しで、「ここから出ないでください!」と写真に書いて、Sさんの目をひこうという作戦でした。これは、以前テレビで、特集を見たのがキッカケです。そのテレビで取り上げられていた施設で、試みたら、そこの入り口から出て行かれる事がなくなったと言うものでした。

徘徊は、一歩間違えば大事故に繋がるので、息子さんに事情を話し了承を得ました。しかし、その愛する息子さんの写真でさえ、一晩たったら、剥がされて小さくちぎって、トイレットペーパーのオブジェと一緒にタンスに入れておられました。

今は、老人ホームなどの職員による虐待なども問題になっていますが、こういった職員の地道な努力があるのも事実です。

・精神科なのか、グループホームなのか、

先程の方は、まだ可愛げがあり、皆さんに愛される女性でしたが、私が色濃く記憶に残っている人物がいます。その方は、Aさんという女性ですが、農業をずっとされており、力も体格も現役並にあられる方でした。

Aさんは、昔から家を大事に守ってこられたので、グループホームに入所された時は、ホーム自体を自分の家だと思われていました。だから他の入所者が普通にリビングで過ごされているのを見ると、凄く激怒されるのです。

Aさんにとって、そこは癒しの我が家ですから、見ず知らずの人がいるのは気に入らないのです。

「さっさと出て行け!」 「働かないものに、食わせる飯はない!」など暴言の数々を吐かれて、それでも怒りが治らないと暴力に進展する事もありました。

他の入所者を守るのも、Aさんを守るのも、私達の仕事の為、Aさんのイライラをどこに持っていくか必死の毎日でした。

効果があったのは、広告紙などを渡しておくと、ビリビリと破いて部屋全体に投げるのですが、それによって機嫌良くなるので、だいぶ助けられました。

夜間、職員が少ない時間に暴れられると、正直手に負えません。昼間も興奮して怒ることがほぼ毎日あり、手をつけられない日もありました。そういう時は、暴言に加えて、手当たり次第に物を投げます。ガラス張りの写真たてを投げた時は、周りの入所者の命を守るのに必死でした。割れたガラスで私は手を切りました。

精神科に行かれたほうがいいのでは、と誰もが思ってましたが、ご家族様の方針は、ゆっくり余生をグループホームで過ごしてほしいとの事でした。結局、Aさんは、精神科に通院されながら、グループホームで過ごされる事になりました。ご家族様と私達職員の温度差は正直大きいです。

[参考記事]
「夜間に徘徊を繰り返す認知症の人への対応。原因は夫との思い出」

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